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2016年12月27日

【作家・吉田龍司の歴史に学ぶビジネス術】常識を疑え!「長篠の戦い」に隠された衝撃の新事実

■イノベーションが最強武田騎馬隊を破った?

 今年も残すところあとわずかとなった。今回は私が今年一番衝撃を受けた話を紹介したい。それは近年、戦国史で最もホットな議論を集めている「長篠の戦い」に関する新説である。この戦いは織田信長と武田勝頼の決戦で、「武田騎馬隊VS織田鉄砲隊」の図式でもよく知られる。黒澤明の映画『影武者』でも取り上げられた一大決戦だ。

 まず、よく知られる長篠合戦のあらましを紹介しよう。
 天正3年(1575)4月、甲斐の武田勝頼は1万5千の軍勢で、徳川家康方の500名が守る長篠城(愛知県新城市)を襲った。急を知った信長と家康は、長篠城救援のため総勢3万数千の軍を率い、城の西方の設楽原に陣を敷いた。
 信長はこの合戦で、当時として大量な数だった三千挺もの鉄砲を用意して主戦力としたほか、武田の騎馬隊対策として馬防柵を築いた。織田・徳川軍の来援を知った勝頼も雌雄を決すべく設楽原に本陣を移した。
 そして5月21日、決戦が始まる。勝頼は勇猛で鳴る武田騎馬隊を突撃させた。一方、信長は鉄砲隊を三段に横一列で構え、交替で一斉射撃を行う「三段撃ち」の戦法で騎馬隊を迎撃、次々に打ち破った。総崩れとなった武田軍は敗走。戦死者1万ともいう大惨敗を喫した……。

 長篠合戦は、騎馬・足軽中心の個人戦から鉄砲中心の集団戦への移行が行われた、という点で画期的であり、信長は火器が勝敗を決する「戦術革命」を成し遂げ、近代戦争の幕をあけたと評価されてきた。信長の戦術は典型的なイノベーション(技術革新)というわけである。

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(写真)長篠城本丸跡(愛知県新城市)。織田軍と武田軍の争奪戦が繰り広げられた城。豊川と宇連川が合流する断崖絶壁に立つ堅城。遠江・信濃・美濃に通じる三河の要衝だった。援軍要請のため脱出した鳥居強右衛門の逸話は有名。

■「疑惑の合戦」としてさまざまな議論を呼ぶ

 こうした通説に対する批判は1970年代に始まった。論点はかなり多いのだが、ポイントを絞ると、(1)三段撃ち、(2)武田騎馬隊、(3)3000挺の鉄砲、の三点だ。本当にこれらは史実なのか。現在も議論は分かれている。

 まず(1)の「三段撃ち」だ。これはトラブルの多い火縄銃を一定間隔で撃ち続けることは困難ではないか、という批判が高まり、支持を集めた。また、横並びの一段が一斉射撃すれば、現実問題として、敵を射程内に捉えていない射手も必ずいるので、不経済、合理的でないとする見方もある。
 三段撃ちの根拠は江戸初期の儒学者・小瀬甫庵が著した伝記『信長記』で、「鉄砲三千挺(中略)一段ずつ立ち替わり立ち替わり打たすべし」という記述である。ただし同書の元本にして一級史料とされる太田牛一の『信長公記』には鉄砲隊が「立ち替わり打(撃)った」という記述はない。近年は横並びの三段撃ちはなかったにせよ、「段」を部隊を指す用語と解釈し、別々の場所にいる鉄砲隊に射撃させた、という解釈もある。
 ひところは全否定論が盛んだったが、『信長公記』の他の合戦や上杉氏の大坂の陣の記録に輪番射撃を示す記述があるため、まだまだ議論の結論は出ていない。

 (2)の武田騎馬隊についても、ひところは戦国時代の宣教師の証言に「(実戦では)騎乗する兵は下馬して戦った」とあることなどを根拠にし、全否定論が優勢だった。ところが、当時の家康書状に武田の騎馬戦術を警戒する文言があることが確認されたことや、『信長公記』など各種史料にも騎馬突撃を裏付ける記述が多々見られるため、肯定論が盛り返してきている。現時点の私の感触では肯定論が優勢と思われる。

■信長は「散弾銃」で戦った!?

 最後に(3)の鉄砲数の話だ。三千挺の根拠は『信長記』の記述だが、『信長公記』には「千挺」(あとから「三千挺」に訂正された原本もあるが、後世に訂正された可能性がある)とある。議論は過熱し、三千挺説、千挺説、不明説などさまざまな見方がある。

 長くなったが、私は今年、とある鉄砲研究の権威である老大家に取材する機会があった。そこでこの鉄砲数の疑問をぶつけてみたところ、返ってきた答えは「鉄砲数の議論など意味はない」という意外なものであった。
 あ然とする私に老大家が教えてくれたのは「二つ玉」という鉄砲玉の存在である。私は寡聞にしてまったく知らなかった。
 信長には橋本一巴(いっぱ)という砲術家の指南役がいた。この事実は『信長公記』にも記されており、一巴の実在に疑いはない。この一巴がある戦いで使用した記録があるのが二つ玉、つまり現在でいう散弾だったのである。

 老大家は「長篠でも二つ玉が使用された可能性があります」と力説した。そして「仮に千挺だったとしても二つ玉を使用すれば実質2千挺、3千挺なら6千挺となります。鉄砲数の議論に何の意味があるのでしょうか。長篠の戦いは信長が武田よりも火力で上回っていた、ただそれだけです」。
 老大家の言葉はまさに目からウロコであった。もしかしたら信長は散弾を利用して長篠の戦いを勝ち抜いた可能性があるのだ。仮にこの説が正しいとすれば、凄いイノベーションである。

 歴史学は上書き、上書きの連続で、次々に常識が入れ替わる学問である。ビジネスもまた同じだ。例えば在庫の常識を疑い、「必要なもの」を「必要なとき」に「必要な分」だけ供給するとした有名なトヨタのジャストインタイム方式はその好例といえるだろう。
 常識を疑い、可能性を探る。来る2017年はそうした新しい発想をしてくる企業の登場に期待したい。

(作家=吉田龍司 『毛利元就』、『戦国城事典』(新紀元社)、『信長のM&A、黒田官兵衛のビッグデータ』(宝島社)、「今日からいっぱし!経済通」(日本経営協会総合研究所)、「儲かる株を自分で探せる本」(講談社)など著書多数)

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提供 日本インタビュ新聞社 Media-IR at 15:22 | 吉田龍司の歴史に学ぶビジネス術