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[宮田修 アナウンサー神主のため息]の記事一覧
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記事一覧 (05/01)【宮田修 アナウンサー神主のため息】豊かな水に感謝
記事一覧 (04/01)【宮田修 アナウンサー神主のため息】モンゴルに日本を見る
記事一覧 (03/01)【宮田修 アナウンサー神主のため息】おのぼりさん、新宿での3時間
記事一覧 (02/01)【宮田修 アナウンサー神主のため息】着物を見直す
記事一覧 (01/01)【宮田修 アナウンサー神主のため息】年神さまを迎えて
記事一覧 (12/01)【宮田修 アナウンサー神主のため息】おふくろの味はいずこに
記事一覧 (11/01)【宮田修 アナウンサー神主のため息】七五三に思う
記事一覧 (10/01)【宮田修 アナウンサー神主のため息】親と子は「他者」なのか?
記事一覧 (09/01)【宮田修 アナウンサー神主のため息】リオオリンピックで若者を見直す
記事一覧 (08/01)【宮田修 アナウンサー神主のため息】こんなに便利でいいのですか?
記事一覧 (07/02)【宮田修 アナウンサー神主のため息】田舎暮らしと私
記事一覧 (05/31)【宮田修 アナウンサー神主のため息】マスコミ人の矜持はどこに
記事一覧 (05/04)【宮田修 アナウンサー神主のため息】時代遅れ万歳!
記事一覧 (03/31)【アナウンサー神主のため息】僕はコウノトリに運ばれてきた?
記事一覧 (03/01)【宮田修 アナウンサー神主のため息】なぜ『ブログ』をするのでしょう
記事一覧 (01/31)【宮田修 アナウンサー神主のため息】国会議員の育児休暇について思う
記事一覧 (01/01)【宮田修 アナウンサー神主のため息】初詣に思う
記事一覧 (12/01)【宮田修 アナウンサー神主のため息】数え年を考える
記事一覧 (10/31)【宮田修 アナウンサー神主のため息】七五三に思う
記事一覧 (10/01)【宮田修 アナウンサー神主のため息】誕生日を向かえ思うこと
2017年05月01日

【宮田修 アナウンサー神主のため息】豊かな水に感謝

宮田修 アナウンサー神主のため息 先月に続いてモンゴルのことです。4月21日(金)に無事帰国し、この原稿を書いています。例年のことですが、ウランバータルからの飛行機が成田空港に近づくとモンゴルと日本の景色の違いに驚くのです。日本は“緑”いっぱいです。まさにグリーンランドです。緑の中に太陽の光を受けてきらきら輝いている水面があります。田んぼです。田植えが終わっているかどうかまでは上空からは確認できませんが、春の農作業が始まっていることはわかります。我が国は水と緑に恵まれています。有難いことだなと改めて感じるのです。

 5時間ほど前までモンゴルの首都ウランバートルにいました。この時期のウランバートルは、まだまだ寒く朝の最低気温は氷点下です。それでも大陸性の気候ですので日中は気温が上がりセーター一枚で過ごせます。日本と大きく違うのは雨が少ないということです。

 今年私は、4月5日から21日まで17日間モンゴルに滞在し、子どもたちと楽しく勉強をしてきました。モンゴルの人は、日本に対して好意的な人が多く、子どもたちに日本のことを話してあげると彼らは強い関心を示してくれます。日本の雨の話をしました。この時期日本では3日に1日ぐらいは雨が降りますと話すと実に不思議そうな顔をします。モンゴルでは雨が降らないのです。17日間の滞在中雨が降ったのは1回だけでした。雪まじりの雨でした。
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提供 日本インタビュ新聞社 Media-IR at 15:26 | 宮田修 アナウンサー神主のため息
2017年04月01日

【宮田修 アナウンサー神主のため息】モンゴルに日本を見る

宮田修 アナウンサー神主のため息 毎年4月になると3週間ほど、モンゴルに行くことにしています。モンゴル通いが始まってすでに10年を超えています。毎年の楽しみになっていると言って良いでしょう。モンゴルの子どもたちに日本語を教えるのです。一応標準的な日本語を話す元アナウンサーですのでお役にたてるのではないかと考えボランティアで続けています。きれいな日本語を話してほしいと思い、日本語の発音に力を入れています。「ハイ!大きな口を開けてア、イ、ウ、エ、オ」と何度も繰り返しているうちに子どもたちから「アイウエオ先生」というニックネームをもらいました。

 モンゴルに行くのにはもう一つの楽しみがあります。それは現在の日本にとっては少し困ったことでもあるのですが、外国であるモンゴルに日本を感じに行くのです。モンゴルに日本を?不思議だと思います。実は私が日本語を教えている学校は、日本式の教育をしています。学校ができたのは今から17年前です。創立者である理事長は、日本の大学に留学していました。モンゴルで大学の先生をしていた彼はスキルアップのため来日しました。わが子が高校生になり、授業参観で日本の高校を訪ねました。そこで彼は、日本の教育の素晴らしさに打たれたのです。もともとは物理の先生でした。しかしその時、これと同じような高校をモンゴルに作りたいと考え、日本人たちの応援も得て開校したのです。それが首都ウランバートルにある新モンゴル学園です。現在は、小学校、中学校、そして大学、高専もある総合学園になりました。ウランバートルで子どもを持つ親ならわが子を是非入学させたいと言わせる素晴らしい学校に成長しました。

 朝、子どもたちが登校します。先生数人が玄関で子どもたちを迎えます。「お早うございます」「お早うございます」日本語で挨拶です。この風景は日本でもよく見かけますが、違うのは登校した子どものうちの何人かが今度は出迎える方に回ります。実に気持ちの良い朝です。チャイムが鳴って授業が始まります。日本語の授業では、当番の生徒が「起立!」「先生よろしくお願いします」号令をかけると他の生徒がこれに倣います。授業が終わればもちろん「先生有難うございました」です。実にきちんとしています。廊下では立ち止まって「先生こんにちは」と挨拶してくれます。かつて私たちが子どもの頃は日本の学校で普通に見られた光景ですが、おそらく今の日本にはないでしょう。

 日本では、学校でのいじめが大きな問題になっています。モンゴルの子どもたちに話してみました。私が何について話しているのかすぐには理解できなかったようです。いじめというものがどういうものなのかまったく理解できないようでした。なんでそんなことをするのですかと言う顔つきです。私の子どもの頃、日本にもいじめはありませんでした。友だちと喧嘩をしたことはあります。しかし相手が泣いたらそれで終わりです。それがルールでした。いじめを苦に自殺するなどと言うことは聞いたことがありません。

 お昼の食堂です。子どもたちはクラスごとに集まり「いただきます」「ごちそうさまでした」と日本語で食前、食後の感謝をします。私はそばでそれを聞いていて自分の子どもの頃を思い出してしまうのです。モンゴルに日本があるのです。

 モンゴルは日本に比べると貧しいかも知れません。でも彼らの顔を見ていると実に幸せそうです。私の子どもの頃、日本は貧しかったです。でも幸せでした。モンゴルの子どもたちと同じでした。ちょっと待ってください。日本は豊かになりました。それは幸せになるためではなかったのでしょうか。またいつもと同じように混乱してきました。豊かになれば幸せになれると信じて頑張り豊かになりました。でも幸せになれないなんておかしいですね。モンゴルでかつての日本を見ているとそんなことを考えてしまうのです。(宮田修=元NHKアナウンサー、現在は千葉県長南町の宮司)
提供 日本インタビュ新聞社 Media-IR at 17:08 | 宮田修 アナウンサー神主のため息
2017年03月01日

【宮田修 アナウンサー神主のため息】おのぼりさん、新宿での3時間

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 地方での仕事を済ませて千葉の自宅に帰る途中、新宿で少し時間がありましたので、日頃田舎暮らしではなかなかできない買い物と銀行での用事、さらには久しぶりに昼食もと考えたのです。別にそのまま自宅に帰っても良かったのですが、少し都会の風を感じようかと思い新宿駅で途中下車をしたのです。この小さな思いつきがあとで後悔することになる始まりでした。

 考えてみれば途中下車する時に、その後を暗示するような小さなトラブルに見舞われました。切符を自動改札機に入れました。遠距離を乗ってきましたから当然途中下車できるはずですが、改札機から切符が戻ってきません。冗談じゃない。困ります。駅員のところに走りました。「切符が戻りません」駅員無言で自動改札機を開けるためでしょう右手に鍵を持ちながら改札機のところへ行って、これまた無言で蓋を開け「どこからどこへですか」と私に訊きました。すぐに私が投入した切符が見つかりました。またしても駅員は無言で私に切符を渡し、さっさと元の場所に戻ってしまいました。なぜこのようなことになったのかを本来は訊ねたかったのですが止めました。無言駅員と話をしたいという気持ちがなくなりました。

 無事に駅を出ることができた私は東急ハンズへ向かいました。お気に入りの鞄が破れてしまいました。それを自分で何とか直したいと常々考えていましたので、そのための材料を手に入れるためです。人ごみをかき分けるように歩き大きなビルの前に着きました。さて目指す材料はこの巨大なビルのどこにあるのでしょうか。探さなければなりません。ため息が出ました。止めようかとも思いました。別に壊れたカバンがなくても特に不便というわけではありません。でも初志貫徹、ビルに入りました。案内に訊くのが一番です。しかし案内所がどこにあるのかわかりません。案内所の場所を店員さんに教えてもらい、たどり着きました。一安心です。案内所の女性は実に見事でした。早口ですらすらと目指す場所を教えてくれました。エスカレーターを乗り継いで売り場に着きました。売り場の係の人も実に見事でした。てきぱきと私が必要としているものを教えてくれました。簡単に修理するために必要とするものが手に入りました。
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提供 日本インタビュ新聞社 Media-IR at 12:26 | 宮田修 アナウンサー神主のため息
2017年02月01日

【宮田修 アナウンサー神主のため息】着物を見直す

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 日本人の着物姿を見かけることは稀になってしまいました。正月や結婚式、葬式その他ごくごく改まった会合などに出席する時ぐらいでしょう。街で着物姿の人を見かけると思わず注目してしまう位です。

 私の仕事は、神主です。当然着物を常用しています。白衣に袴をまとい、足元は足袋です。50歳を過ぎてから神主になりましたので当初はどうしようもない違和感がありました。しっくりしないのです。まず動きずらいです。大股で歩こうとしてもできません。袖が邪魔になって腕を自由に動かすことができません。最初の頃の感想は、昔の人は大変だっただろうな。でもなぜこんな不自由なものを身につけていたのだろうというものでした。まあでも神主が洋服でご神前に立つわけにはいきませんから半ば我慢をして着物を着ていました。ユニホームですから仕方がないと思ったのです。

 しかし数年するうちにその考えががらりと変わりました。着物は素晴らしいと思うようになったのです。特に寒い冬にそう思うようになりました。寒さの中でお祭りをしていると列席している氏子さんたちから寒くありませんかと頻繁に声をかけられます。神主は白を基調とした着物を身につけています。そのせいもあって寒いのではないかと思われるのでしょう。しかし不思議なことにまったくと言って良いほど寒くないのです。もちろん長袖の下着はつけていますが、それだけです。袖口や胸元、裾から冷たい空気が入ってきて寒いのではないかと氏子さんは心配してくれるのですが、そうではありません。なぜ着物は寒くないのかを考えてみました。洋服に比べてゆったりとしています。ゆったりしているが故にそこに暖かい空気が溜まり、寒さを感じにくいのではないかと気がつきました。
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提供 日本インタビュ新聞社 Media-IR at 12:07 | 宮田修 アナウンサー神主のため息
2017年01月01日

【宮田修 アナウンサー神主のため息】年神さまを迎えて

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 新しい年がやってきました。皆さん明けましておめでとうございます。今年が皆さんにとって素晴らしい年でありますようお祈り申し上げます。

 皆さんは、正月をどのように過ごしておられるでしょうか。正月なんて関係ない。仕事で休みが取れないという人もおられることでしょう。かつて私もそうでした。はっきりした記憶はありませんが、正月に休みが取れるようになったのはかなりベテランになってからです。マスコミは、年中休みがありません。紅白歌合戦を放送する大晦日にニュースセンターで働いていたことが何度もあります。元日の早朝に出勤ということもありました。仕事ですから仕方ありません。現役時代の私のような正月を迎えている人は多いと思います。

 しかしかつて日本人は正月を特別なものとして考え、大事にしてきました。私も定年を迎え、今は神主ですからなるべく私たちの先人たちの正月の迎え方を取り戻そうと考えています。伝統的な日本人の正月の過ごし方をしようとしているのです。すると実に面白いと思えることがたくさんありますのでそのいくつかを書いてみましょう。そんな古臭いことと言わずにお聞きください。

 日本人は、すべてのものに神さまが宿っていると考えてきました。何と正月にも神さまがいらっしゃいます。「年神さま」と申し上げます。私のご奉仕する神社では年末に氏子さんの一軒一軒に年神さまが宿る「幣束」(へいそく)と言いますが畳んで切った紙を、細長い竹の串に挟んで垂らしたものをお配りします。氏子さんの家ではこの幣束を特別に設えた棚にお祀りして正月を迎え、正月の間は年神さまと一緒に過ごすのです。正月が終わると神社の境内に幣束を差して神さまにお帰りいただくのです。今もなお続いています。
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提供 日本インタビュ新聞社 Media-IR at 09:25 | 宮田修 アナウンサー神主のため息
2016年12月01日

【宮田修 アナウンサー神主のため息】おふくろの味はいずこに

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 夕方、何気なく民放のニュース番組を観ていると突然ニュースではなく若い女性が登場してどこかのお店でこんなおいしいものが食べられますよと話し始めます。私はニュースを見たいと思っていますから裏切られた気持ちになってチャンネルを変えるのです。すると変えた他のチャンネルでもにこやかにこれまた美しい女性リポーターがこんなに美味しいですよとにっこり笑うのです。そこでたまりかねてテレビのスイッチを切ります。その日にどんなことが起こったのかを知りたいと思いテレビを観ていますのでそれ以外は見たいとは思わないからです。

 それにしても最近テレビで食べる番組が多くなったように思います。これはNHKも含めてで、美味しいもの、健康長寿に良いというもの、郷土料理、海外の料理などなどそれこそ有り余る情報がこれでもかこれでもかとテレビに登場します。しかし意外に少ないのが家庭の味、いわゆるおふくろの味です。

 最近は自分の家以外で食事をすることが多くなったということなのでしょうか。それだけ生活にゆとりが生まれて豊かになったのかも知れません。そう考えれば素晴らしいことなのでしょう。私も決して反対するものではありません。しかしなぜか寂しさを感じてしまうのです。
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提供 日本インタビュ新聞社 Media-IR at 13:46 | 宮田修 アナウンサー神主のため息
2016年11月01日

【宮田修 アナウンサー神主のため息】七五三に思う

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 七五三参りの家族を見るのは楽しいものです。実に微笑ましいです。わが子がすくすくと育つことを願って神さまにお願いする我が国の素晴らしい習慣だと思っています。私がご奉仕する神社の中に地域全体で七五三のお祝いをしているところがあります。家族だけではなく同じ地域に住んでいる人たち全員からお祝いしてもらえるなんて子どもたちは幸せだなと毎年感じます。神社の拝殿には毎年の記念写真が貼られています。これを見るのも私は楽しみにしています。60歳を過ぎた役員の話では自分も子どもの頃にお祝いしてもらったということですから、少なくとも半世紀以上は続いているのでしょう。素晴らしいことです。

 ところで七五三と言えば子どもの無事な成長を祈ってお参りするものと思っている方が多いと思います。その通り間違いありませんが、かつては少し違っていたように私は思っています。昔は子どもを神社に連れて行く大人たちは、もっと必死だったのです。

 私の父親の生まれた家の菩提寺に残されたている宮田家の過去帳の写しが手元にあります。過去帳と言うのはお寺の檀家や信徒で亡くなった人の名前や戒名、死亡年月日などを記したものです。つまり私の祖先にあたる人たちの記録です。亡くなった順番に記されています。驚きました。童子や童女と記されたものが実に多いのです。2歳で亡くなった子がいます。元文3年とありますから江戸時代ですね。名前がない人もいます。生まれた直後に亡くなったのでしょうか。いずれも生まれたものの大人になることなく短い一生を終えた人たちです。
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提供 日本インタビュ新聞社 Media-IR at 12:23 | 宮田修 アナウンサー神主のため息
2016年10月01日

【宮田修 アナウンサー神主のため息】親と子は「他者」なのか?

宮田修 アナウンサー神主のため息 新聞に掲載されていた気になる人生相談がありましたので取り上げます。33歳の女性の相談です。この女性の父親が結婚させたがっているというのです。

 少し引用してみましょう。私の家は、両親も祖父母も早くに結婚し、周りも同じような状況です。父は「結婚することが幸せ」という思いが人一倍強く、口癖は「お金はないが財産はあるんだ」です。私に家を継がせようと考えています。―という状況のようです。

 相談者は現在事務の仕事をしていてやりがいを感じているそうです。これまでお見合いをしたのですが、価値観が合わず結婚には至りませんでした。結婚に気が進まないのは、母が病気をしたときに、父親が世話をしなかったのを見てがっかりしたとあります。

 この相談を読み当初は最近よくある話だなと思いました。仕事が面白くて結婚したくないという女性が私の周囲にもたくさんいるからです。

 この相談に37歳のお寺の住職が回答を寄せています。お坊さんは男性です。回答者は、お父さまに対して、きっぱりと「お見合いは気が進まない」と、断ることだとすでに気づいているのではないですかと言います。そしてそれをためらっているのは父親を傷つけたり、機嫌を損ねてしまうことを恐れているのではないかと回答しています。そして田舎の価値観では幸せになれそうにないことを思い切ってぶつけてみることですと相談者を励まします。
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提供 日本インタビュ新聞社 Media-IR at 13:49 | 宮田修 アナウンサー神主のため息
2016年09月01日

【宮田修 アナウンサー神主のため息】リオオリンピックで若者を見直す

宮田修 アナウンサー神主のため息 リオデジャネイロオリンピックが終わりました。日本人の一人としてわが同胞の活躍は大変嬉しいものでした。テレビを観ていて好感をもったことがあります。それはオリンピックに出場している日本の若者たちの実にのびのびとした振る舞いです。外国の選手の中でまったく臆することなく堂々としていました。素晴らしいことだとより一層嬉しくなりました。

 かつて私が見たオリンピックでは、日本選手はどことなくオドオドしていました。何か場違いなところに自分はいるような雰囲気が感じられました。本当はもっと力があるのにその場の雰囲気にのまれてしまって自らの実力を十分に発揮することができず負けてしまうのです。残念でなりませんでした。

 しかし今回のオリンピックはまったく違っていました。例えば女子のレスリング、金メダルを取った選手たちの多くは試合終了の直前まで相手にリードを許していました。しかし逆転しました。懸命に頑張るけれども結果につながらないかつての日本選手にはそのようなことはなかったように思います。様変わりの印象を受けました。メダルをかけた試合です。大きな重圧がかかっているでしょう。それを見事に跳ね返し勝利していました。というより私には厳しい練習によって培われた自信を背景に堂々としているように見受けられました。
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提供 日本インタビュ新聞社 Media-IR at 12:32 | 宮田修 アナウンサー神主のため息
2016年08月01日

【宮田修 アナウンサー神主のため息】こんなに便利でいいのですか?

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 先日、新聞の投書欄に「何でも自動で大丈夫か」という18歳の若者の意見が載せられていました。冒頭の部分を引用してみましょう。「最近、自動洗浄トイレが駅やデパート、学校でも見られるようになった。近づくと蓋が開き、離れると水が流れる。至れり尽くせりなトイレは魅力的で、家庭で使用する人も多い。しかし、このごろ私は何でも自動化していく世の中に「大丈夫?」と不安を感じるようになった。」というのです。この投書を読んで私はその通りと思わず声に出してしまいました。このお若い方は、すべてが自動になってしまえば自分が汚したものもそのまま放置するようになってしまうかも知れない。「自動」との付き合い方を見直してみようと思うと結んでいる。素晴らしいと私は思いました。

 私も最近あまりに便利すぎると感じることが多くなりました。例えば、今この原稿を書いています。原稿を書くと言えばかつては原稿用紙に向かい、鉛筆で一文字一文字マスを埋めていきました。書き損じると消しゴムで消し、新たに書き直します。付け加えたいことがあると吹き出しを作り書き加えました。何度も何度も直していると自分でも何を書いているのか判らなくなってしまうこともありました。そんな時は書き終わった後、清書しなければなりませんでした。今は違います。パソコンは実に便利です。私もパソコンに向かってこの原稿を書いています。原稿が書き終わるとかつては封書に入れて郵送していました。手間のかかる作業でした。今は違います。パソコンからメールで瞬時に送ることができます。確かに便利になり、助かります。この便利さは受け入れても良いのかなと考えます。
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提供 日本インタビュ新聞社 Media-IR at 13:31 | 宮田修 アナウンサー神主のため息
2016年07月02日

【宮田修 アナウンサー神主のため息】田舎暮らしと私

■ 都会はほんとうに便利だろうか、夏草と格闘、キジと戯れる充実の毎日

宮田修 アナウンサー神主のため息 どんなところに住みたいかは、人それぞれだと思います。私は、緑豊かな田舎暮らしが大好きです。しかし放送局は大体都市部にありますので長いことこの願いは叶いませんでした。今から20年ぐらい前、東京に住んでいましたが、週末は田舎で過ごしたいと思いセカンドハウスを千葉の田舎に借りました。定年になった今は、セカンドハウスを借りていた町で家を買い求め、完全に移住しました。ご機嫌な田舎暮らしを楽しんでいます。便利な都会に住んでいたのになぜわざわざ何かと不便な田舎にやってきたのかと頻繁に町の人に問われます。田舎暮らしの方が豊かだからですよと答えることにしています。都会は便利だと多くの人が言います。

 本当にそうでしょうか。数年前まで東京で生活していましたからそれと比べてみましょう。東京では公共の交通機関は発達しています。バスも電車も頻繁にやってきます。山手線は何と2分30秒に1本ホームに滑り込んできます。ほんの少し待てば次の電車がやってくるのにホームを走っている人がいます。面白いなと思っていました。これに比べると今住んでいる千葉の町は確かに不便です。

 私の家はJRの駅までおよそ6キロあります。そこまでバスで行こうとすると大変です。1時間に1本しかありません。これでは自分の好みの時間に出かけることができません。そこで駅までは自分の車を使います。ここに住む人たちはほとんどの人がそうしています。家の庭に駐車している車の台数を数えればその家に暮らしている大人の人数がわかるという状態です。一人1台が常識です。どこに出かけるにも車を使います。

 したがってすこぶる便利で快適です。もちろん私もそうしています。ついついどんな近くでも車を使うことになります。運動不足を心配しなくてはなりません。都会の東京で運動不足を心配したことはありませんでした。電車の乗り継ぎなどで実によく歩くからです。地下鉄に乗る時、この先に本当に駅があるのですかという位深い深い地下までせっせせっせと登り降りします。私はなるべくエスカレターを使わないようにしていましたので素晴らしい運動になりました。

 千葉県に住む私は、都会の東京に行く時、JRの京葉線を使います。ご存知の方が多いと思いますが、東京駅での乗り換えは延々と歩かなくてはなりません。私は、「有難いね、JRが莫大なお金を使って利用者のためにトレーニング施設を作ってくれたよ」、と言っています。あれだけ歩く都会の人が運動不足になるはずがありません。田舎は運動不足を心配しなければならないほど実は便利なのです。都会は便利―それは違いますね。

 住まいについて考えましょう。東京では一応1戸建てに住んでいました。でも敷地は50坪です。それでも広いですねと言われたこともあります。今住んでいる田舎ではその10倍以上の敷地です。古くからある家はみなそうです。東京の家ではお隣の物音や料理の匂いが気になりました。こちらではそんなことは絶対ありません。庭は緑でいっぱいです。この時期はアジサイが見ごろです。アジサイは花が終わった後、茎を土に差しておくと新しい株を増やすことができます。将来はアジサイ屋敷にしようなどと夢が膨らみます。

 今、一番楽しみなのは去年植えた梨の木です。友人の梨農家の教えを乞い管理をしています。手入れはとても大変ですが、まもなくやってくる初めての収穫を思いワクワクしています。確かに草刈りは重労働です。雑草は、どんどん成長します。エンジンが付いた草刈り機で草と格闘しないといつの間にか草に埋もれてしまいます。その草むらを時々キジが歩いています。けたたましい声で鳴きます。「キジも鳴かずば打たれまい」と言います。まさにその通りだなと納得してしまいます。特許許可局―トッキョキョカキョクとホトトギスが鳴いています。ウグイスはうるさいくらいです。この時期の一番の楽しみは、朝起きて畑に行き野菜を収穫することです。採りたてのトマトは実に美味です。豊かだなと実感する時です。
 
田舎暮らしの楽しみを列挙しました。皆さんどうぞお越しください。楽しいですよ。(宮田修=千葉県長南町の宮司、元NHKアナウンサー)
提供 日本インタビュ新聞社 Media-IR at 09:16 | 宮田修 アナウンサー神主のため息
2016年05月31日

【宮田修 アナウンサー神主のため息】マスコミ人の矜持はどこに

宮田修 アナウンサー神主のため息 週刊文春という週刊誌があります。私は待合室などに置いてあるのを読むぐらいで購入してまで読むことはないのですが、最近、この週刊誌が特ダネを連発しているそうです。かつてマスコミに席を置いていたものからするとこの「特ダネ」というのは実にこころ踊る言葉です。情報を提供することを生業にしているものが自分だけしか知らないことがあるというのは思いっきり胸を張って自慢したいことなのです。週刊文春編集者の嬉しそうな顔が容易に想像されます。私からするとタレントの不倫などまったく関心がありませんのでこのスクープはどうでもよいのですが、政治家の金の使い方をめぐる問題を明らかにしたのは素晴らしいです。心からお祝いを申し上げましょう。

 しかし、ここで私が問題にしたいのは文春の報道の後、他のマスコミがどうしたかです。何となくテレビを見ていましたら後追い後追いの連発です。長時間観るつもりはなかったのですが、どのように報道するのか関心が湧いてきてついつい観てしまいました。どこの放送局もあたかも自分がこのネタを見つけてきたのだとばかりに熱が入っています。私は恥ずかしくないのかなと呆れてしまいました。例えば最近の東京都知事のスキャンダル、これは首都の最高権力者の問題ですから後追いでも伝えないわけにはいかないのでしょう。それは十分にわかります。でも、もともとは他社が見つけてきたネタですから、できれば少し恥ずかしそうに扱ってほしいのです。それを感じることはありません。
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提供 日本インタビュ新聞社 Media-IR at 10:25 | 宮田修 アナウンサー神主のため息
2016年05月04日

【宮田修 アナウンサー神主のため息】時代遅れ万歳!

宮田修 アナウンサー神主のため息 私はマスコミで長く仕事をしてきたので、周囲の人は時代の最先端を歩いてきたと誤解している人が多いようです。自身ではまったく正反対だと思っています。例えばアナウンサーの現役時代、パソコンに触ったことがありませんでした。仕事に使いなさいと一人一人にパソコンが貸与されたのですが、私は渡されると有難うと一言言ってそのままロッカーにしまってしまいました。一度も使ったことがありませんでした。「アナウンサーは喋るのが仕事だ。パソコンに向かう暇があったら発声練習しなさい。」と後輩たちには言っておりました。言われた後輩諸君、今更遅いですがごめんなさいと謝ります。

 何か連絡があるとメールとやらで来ると言われましたが、俺は一切見ないから直接言いなさいと嘯いていました。扱いにくい職員だったのでしょう。定年までまったく変えることなくそれで通しました。しかし、それによって困ったことはまったくありませんでした。今考えれば周囲に呆れられた見事な時代遅れの人間でした。

 定年を過ぎて最近は暇ですのでパソコンを始めました。教室に通い少しできるようになりました。使ってみれば実に便利です。メールや原稿を書く時に使っています。添付フャイルで文書が送れるようになったときはこれまでにない自分になれたと感動しました。パソコン教室の先生が実に辛抱強く教えてくれたお蔭です。感謝しています。この他、年賀状の印刷もこなします。稀にインターネットを覗くこともあります。どこか遠くに出かける時、電車の時刻表を調べるには誠に便利です。飛行機の予約も簡単にできます。また周囲の人は「宮田修」で検索するとたくさん記事が出ていますよと教えてくれますが、見たことはありません。自分のことがどう書かれているかなどまったく関心がないからです。私は私ですから。パソコンとはこの程度のお付き合いです。人はさまざまな機能があると盛んに言ってくれますが、面倒くさいのでこの他は覚える気も起りません。

 例によってくどくどと書き記しました。私は確かに時代の先端を行くというパソコンを始めました。しかし画面に向かいながら依然としてこんなに便利で良いのだろうかいう疑問を拭うことができないでいるのです。皆さん便利すぎるとはおもいませんか。パソコンだけではありません。最近さまざまなものが便利になりました。先日外国人の友人と話をしていたら彼が写真を撮ろうと言うのです。カメラではなくスマホです。写真は本来カメラで撮る物なのですが、最近はほとんどスマホです。変ですね。パチリとした直後、彼が変なことを言うのです。今撮った写真を自分の親に送りましたと言うのです。彼の親は海外にいます。その時私は驚いてしまいました。でも後で訊ねたらそんなことは常識で知らなかったのは私だけだったようです。誠に恥ずかしい思いをしてしまいました。でも私の疑問は残ります。外国にまで一瞬の内に映像まで届いてしまって良いのでしょうか。届かない方が遠い外国に相応しいのと思ってしまうからです。でもやはり私は、時代遅れなのでしょう。最近開き直ることにしました。時代遅れ万歳!私はこの道を行く!そう決めました(宮田修=千葉県長南町の宮司、元NHKアナウンサー)。
提供 日本インタビュ新聞社 Media-IR at 17:38 | 宮田修 アナウンサー神主のため息
2016年03月31日

【アナウンサー神主のため息】僕はコウノトリに運ばれてきた?

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 先日、20代の若者たち数人と話をしていて驚いたことがあります。人間の命について話をしていました。すると一人の若者が自分はコウノトリに運ばれてきたと教えられ、子どもの頃それを信じていたというのです。コウノトリが赤ちゃんを運んでくる話は私も聞いたことがあります。この話はもちろん日本の話ではありません。ドイツのおとぎ話がもとになっているようです。

 私がここで問題にしたいのは、この日本の若者が子どもの頃、それを信じていたという事実です。なぜならコウノトリの話は、日本人の命に対する伝統的な考え方とはあまりにもかけ離れているからです。この青年は子どもの頃、日本人の考え方ではなくドイツの考え方をどうやら教えられたようなのです。おかしいと思いませんか。日本人の考え方を身につけた上で、他の国の考え方を知るのなら宜しいでしょう。そうではないところが私は問題だと思うのです。

 では日本人の命に対する考え方はどのようなものでしょうか。実は現在の日本人のほとんどがご存知ないのです。それは自信をもって言うことができます。なぜなら、この私も神主になる前は知らなかったからです。皆さん「中今を生きる」という考え方を知っていますか。おそらく初耳でしょう。説明しましょう。自分は今生きている。なぜ生きているかと言えば両親がいるからだ。両親は祖父母がいたから生まれたのだ。日本人は、このように一つの命には2、4、8、16、32、64・・・の命が関わっていると考えました。そして両親から繋がっている無数とも言える命の中のたった一つの命がなかったとしたら自分は生まれてこなかったと考えたのです。そうですよね。曾おじいさんがいなかったらおじいさんかおばあさんはいません。したがって両親のどちらかも存在しませんので自分もいないのです。すべての命がそろっている中で自分は奇跡的に命を引き継ぐことができたと日本人は考えたのです。やがて成人すると伴侶を得て子どもが生まれます。その子どもにもやがて孫ができるでしょう。このように命はご先祖から両親を通じて自分に引き継がれ、子孫に伝えていくべきものと考えてきたのです。
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提供 日本インタビュ新聞社 Media-IR at 10:17 | 宮田修 アナウンサー神主のため息
2016年03月01日

【宮田修 アナウンサー神主のため息】なぜ『ブログ』をするのでしょう

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 ブログというものをしている人が多いと聞きます。自分が何をしたか、何を考えたか、はたまた何を食べたかまでをインターネット上に書き記し、不特定多数の人に知らせるのだそうです。この事実を初めて知った時、私は到底信じることができませんでした。なんでそんなことをするのか理解できなかったからです。なぜなら私が今考えていることや自分がしたことなどを他人に、しかもまったく知らない不特定多数の人に知ってほしいなどとは思わないからです。ましてお昼ご飯に何を食べたかなど知らせる必要もないでしょうし、そうした事に他人は興味もないだろうと推察するからです。

 長くNHKでアナウンサーをしてきました。テレビやラジオに出ていました。もちろんそれが仕事ですから「仕事」をしていたのです。テレビに出ていると多くの人が私のことを知っています。多くの人に知られていることを羨ましいと思う方がいるかも知れませんが、それによって良かったと思ったことはほとんどありません。むしろ困ったことの方がはるかに多かったです。

 取るに足らない例を挙げましょう。私が横断歩道以外のところで道路を横断したとしましょう。必ずと言って良いほどNHKに電話が入ります。そういう電話は丁寧な言葉づかいをするそうです。「夜7時のニュースを担当しておられる宮田アナウンサーが横断歩道以外のところを渡っておられました。いかがなものでしょうか。」この電話の後、上司に呼び出され、叱られます。私は絶対に横断歩道以外のところを渡りませんでしたので叱られたことはありません。同僚たちの何人かはそのような電話を頂戴しています。まあテレビでかっこ良いことを言っていますから仕方ありませんがね。まことに不自由です。
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提供 日本インタビュ新聞社 Media-IR at 10:19 | 宮田修 アナウンサー神主のため息
2016年01月31日

【宮田修 アナウンサー神主のため息】国会議員の育児休暇について思う

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 あまり真面目に新聞やテレビをチェックしているわけではないので正確ではないかも知れませんが、国会議員同士が結婚し子どもが生まれることになり、夫である議員が育児休暇を取得したいという希望を述べたと報じられています。これに対して賛否両論の意見が寄せられているという。

 私は、大変面白いと興味をそそられました。私の勝手な想像でしかありませんが、パパになるこの若い国会議員さんは、自分が育児休暇を取得すると言えば男性が積極的に育児に関わることを目指しているイクメンと呼ばれる人たちから喝さいを浴びるのではないかと考えたに相違ありません。ところが税金から歳費を貰っている国会議員がとんでもないと批判を浴びてしまいました。最近、彼はこの件に関してあまり発言しなくなってしまったと先日の新聞は伝えていました。

 私は神主です。神主は日本人の伝統的な考え方を学び、それを大切にしようと考えています。その私から見るとこの国会議員はそれに反する考え方を示してしまったようです。我われ日本人はもともと共同体を形成し、米を作って生きてきました。円滑にコメを生産するために共同体全体の存続が最優先されました。皆自分が共同体のために何が出来るかを常に考える癖が出来たと私は考えています。そこで日本人は自分が所属している共同体、例えば家族、地域、会社などのことを最優先に考えるようになったのです。今は時代が違うよという声がたくさん聞こえてきそうです。しかし、わが民族はそういう暮らしを数千年にわたって続けてきました。私たちの細胞の遺伝子には全体のために尽くしなさいと言う情報がはっきりと書き込まれているのです。
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提供 日本インタビュ新聞社 Media-IR at 16:38 | 宮田修 アナウンサー神主のため息
2016年01月01日

【宮田修 アナウンサー神主のため息】初詣に思う

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■まず、氏神様にお参りしよう

宮田修 アナウンサー神主のため息 初詣−どこの神社で何をお願いしますか

 新しい年を迎えて多くの日本人は神社に初詣に出かけることでしょう。人波に押しつぶされるようにしてご神前に近づき、お賽銭を奮発してさて皆さんは神さまに何をお願いするのでしょうか。

 家族全員が一年間無事に過ごせますように、健康でありますように、商売がうまくいき儲かりますようになどなどさまざまだと思います。ところで、今お願いをしている神社は何という神社ですか。たくさんの参拝者が押し寄せていることからおそらく誰でも知っている有名な神社なのでしょう。良く名の知られた神社で自分の叶えてほしい願いをたくさん神さまにお願いをする。これが最近の多くの皆さんの初詣だと思います。もちろんそれで宜しいのでしょう。

 しかし、本来はそうではないと私は考えます。まず、お参りに行く神社です。大きなそして立派な神社の方がよりご利益がありそうに感じます。しかし皆さんのお住まいの近くには必ず氏神さまがあるはずです。氏神さまは、産土(うぶすな)さまとも言います。その地域にお住いの方々をお守りしてくださる神さまです。氏神さまは当然のことながらその地域に住んでいる人たちは一人残らずご存知です。年が改まってまず自分を知ってくださっている神さまにご挨拶に行くのが宜しいと思いますがいかがでしょうか。
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提供 日本インタビュ新聞社 Media-IR at 07:28 | 宮田修 アナウンサー神主のため息
2015年12月01日

【宮田修 アナウンサー神主のため息】数え年を考える

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■なぜ日本人は数え年だったのか、「0」の概念がないためだが奥深い日本人の命への思い

宮田修 アナウンサー神主のため息 今年も間もなく終わろうとしています。歳をとったせいでしょうか最近とみに1年が早く過ぎるようになったと感じます。1歳になったばかりの子どもにとっての1年はそれこそ1分の1ですが、60歳になると1年は60分の1になる。したがって歳をとると1年が早く過ぎるように感じるのだと聞いたことがあります。確かにそうかも知れません。

 最近、数え年で自分の年を言う人はほとんどいません。歳が増えるから嫌がられます。数え年が使われるのは少しでも長生きしたことにしたいと思う亡くなった歳―享年ぐらいでしょうか。

 でも日本人はかつてすべて数え年で年齢を言っていました。しかも歳をとるのは誕生日ではなく、正月でした。間もなく新しい年がやってきます。かつては元日、日本人全員が一斉に一つ歳をとりました。私が子どもの頃、微かな記憶があります。新年を祝う元日の食膳で修はいくつになったのだと問われたのです。数え年には零歳というのはありません。オギャーと生まれた時が1歳です。ということは私は10月の生まれですので生まれた時が1歳で、2か月ほど経つと正月が来て2歳になります。生まれて2か月で早くも2歳になってしまうのです。今ならそんなことおかしいよとおそらく誰にも納得してもらえないでしょう。でも我が国ではかつてはそれが当たり前だったのです。
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提供 日本インタビュ新聞社 Media-IR at 11:06 | 宮田修 アナウンサー神主のため息
2015年10月31日

【宮田修 アナウンサー神主のため息】七五三に思う

■歴史を振り返ると、七五三お参りには現代とは異なったもっと切実な側面を感じる

宮田修 アナウンサー神主のため息 この時期になると神社の境内に両親や祖父母に連れられた小さな子どもたちの姿をたくさん目にすることができます。七五三のお参りです。晴着で着飾った子どもたちはふだんのわんぱくさとは違いこの日だけは神妙な面持ちです。実に微笑ましい風景です。少し大袈裟に言えば、平和だなと私は思ってしまいます。

 七五三は、もちろんわが子の無事な成長と幸せを願う行事です。私たち神主がご神前で神さまに申し上げる祝詞の中にも「すくすくと生い立ち正しい国民になり、悪いことが起こらないようにお守りください。」とあります。両親をはじめ家族の願いを神主が代弁して神さまにお願いをしています。しかし、歴史を振り返ると、七五三お参りには現代とは異なったもっと切実な側面を感じるのです。

 現在では生まれた子どもはそのほとんどが成人になることができます。今やそんなことは当たり前ですが、それは長い歴史の中ではごくごく最近のことです。そうですね、今から100年ぐらい前には多くの子どもが幼児の頃に命を落としていました。栄養状態が良くありませんでしたし、何より医学が進歩していませんでした。子どもたちはなかなか丈夫に育ってくれなかったのです。特に3歳まででは非常に死亡率が高かったのです。無事に3歳を迎えることができた時、それは大きな喜びでした。お祝いをし、神さまに感謝の気持ちを伝えるため神社にお参りをしたのです。心の底から神さまお守りいただきまして有難うございますとご神前で額ずいたに違いありません。
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提供 日本インタビュ新聞社 Media-IR at 22:21 | 宮田修 アナウンサー神主のため息
2015年10月01日

【宮田修 アナウンサー神主のため息】誕生日を向かえ思うこと

宮田修 アナウンサー神主のため息 何歳になったころでしょうか、私は10月があまり好きではなくなりました。私の誕生月だからです。また一つ歳をとってしまう。若さがどんどんなくなってしまうという焦燥感に見舞われます。しかし周囲の人は「お誕生日おめでとうございます。」と祝ってくれます。中にはプレゼントをくださる方もいらっしゃいます。有難い話ですが、誕生日というのは、その日を迎える人にとって本当にめでたい日なのでしょうか。

 私は子どもの頃から異なった意見を持っています。誕生日というのは本人がお祝いしてもらう日ではなく、自分に命を繋いでくれた両親に感謝する日ではないかと思うからです。私がこの世に生を受けた日のことを想像してみましょう。男の私にはわかりませんが、母親は大変な苦しみの中で私を産んでくれたはずです。ひょっとすると命を落とすかもしれない危険の中で私という新しい命をこの世に送り出してくれたのです。父親は、−これは私にも2人の子どもがいますのでわかります―その日は朝からソワソワして何も手につきません。果して元気な子どもが生まれてくるのか心配し、男の子なのか女の子なのかも思いを巡らします。実に落ち着かない気持ちでその時を迎えるのです。このように考えると自分の誕生日は両親に深く思いをいたす日ではないでしょうか。私はそう思います。
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提供 日本インタビュ新聞社 Media-IR at 09:28 | 宮田修 アナウンサー神主のため息