
「大国を治めるは小鮮を煮るがごとし」。紀元前6世紀、諸氏百家のうち道教の始祖・老子の教えである。老子は孔子と同時代の人であり、深い考察力で知られる。「大国を治める者は小鮮を煮るがごとし」と「者」を入れて語られることもある。
国を治めるには、内政、外交とも小魚を煮るように鍋のなかを掻きましてはならない。思い付きで掻きまわせば民が惑い、国は動揺して衰退する。老子がいまのトランプ大統領の所業を見たら、どう語るだろうか。
■トランプ大統領の後光付き宗教画風画像には支持層からも批判
「イランは差し迫った脅威ではなかった」。米国家テロ対策センター所長の任にあったジョー・ケント氏は辞表でそう語っている。ケント前所長は、「イラン戦争」をイスラエル・ネタニヤフ首相、同国ロビー活動に踊らされたものと断定している。
「イラン戦争」については、国民の支持が高まらないばかりか、ケント氏のように身内から離反が表面化している。トランプ大統領は「ちょっとした気晴らし」(AFP=時事)だったと顰蹙ものの発言をしている。思い付きのようなことで戦争を始めたとしたら何とも救いのない話である。
トランプ大統領の後光付きでキリストのような衣を着て病棟に横たわる患者に光が出ている両手を差し伸べているAI画像投稿(「冒涜」の批判から削除)も波紋は収まらない。
トランプ大統領を熱心に支持しているキリスト教・福音派の一部にも「冒涜」という動揺があったと報道されている。福音派はキリスト教保守派とされている。もとよりプロテスタントであり、宗教画のような“偶像崇拝”は否定している。
福音派はイスラエル寄りで、トランプ大統領の「イラン戦争」を支持してきている。だが、トランプ大統領のカトリックにみられる宗教画風は福音派を根本的に理解していない行為と映っている模様。これではほかならぬ福音派の支持は揺らぎかねない。
カトリック総本山のローマ教皇レオ14世との「イラン戦争」をめぐる対立も激化するばかりだ。「世界は一握りの暴君によって荒廃が進んでいる」。レオ14世は、名指しこそ避けているがトランプ大統領をそう酷評している。あらゆるところで軋轢が生み出されている。
■原油高直撃でインフレ加速、3月消費者物価は前年同月比3.3%
トランプ大統領は宣戦布告、議会承認なし、しかも「核開発」交渉中のイランに不意打ちで戦争開始。イラン最高指導者・ハメネイ師など支配層をイスラエル軍の空爆により一挙に殺害している。イラン国民に「体制転換」に向けて蜂起を呼び掛けるなど短期で戦争は終結すると思い込んでいた模様だ。
懸念されるマイナス事態を含め先々まで読むのが本来の職務なのだが、楽観論のみで軽々に戦争に走ったとみられかねない。「イラン戦争」の長期化、原油高騰によるインフレなどほとんど想定していなかった。
しかし、イランは原油積み出しの要衝であるホルムズ海峡を封鎖しタンカーなど船舶の通行権を支配――。世界中が原油高騰の直撃でインフレに見舞われる事態となっている。
米国も「イラン戦争」開始によるインフレ加速の影響を被っている。米国の3月消費者物価指数(CPI)は前月比0.9%、前年同月比3.3%にハネ騰がっている。
前月比でいえば0.2〜0.3%が通例だが、3月の0.9%は異常な上昇。前年同月比も25年1月、25年9月に3.0%という高騰があったが、大体は2%台に収まってきている。3月の3.3%というのはやはり異常な上昇である。
消費者物価高騰の主因はガソリン(上昇率21%)、ディーゼル(同31%)など燃料価格急上昇である。食品価格は横ばい推移で高止まりとなっている。食品・エネルギーを除く消費者物価指数は前月比0.2%、前年同月比2・6%と比較的落ち着きをみせている。
ガソリンは1ガロン4ドル台、ディーゼルは1ガロン5ドル台に上昇。ディーゼルは農機、建設機械、そしてトラック(物流)に使われる。全ての製品コスト上昇に影響を与える。食品・エネルギーを除く消費者物価にもコスト増が波及、徐々に値上げが広がっていくとみられる。
■ホルムズ海峡「兵器化」=インフレという爆弾投下でトランプ大統領を停戦に走らせる
イランはいわばホルムズ海峡を「兵器化」、インフレという爆弾を米国に投下しているという構図の戦いを実行している。「非対称戦」の極致、ペルシャ湾、ホルムズ海峡という要衝を支配してトランプ大統領が想定していなかった戦い方に切り替えを図っている。
トランプ大統領は「イラン戦争」の早期停戦に焦っている。11月中間選挙の趨勢を左右するのはひとえに経済、端的にいえばインフレ動向にかかっている。「アフォーダビリティ」(手ごろな価格・暮しやすさ)の成否が選挙の勝敗を決める――。
「アフォーダビリティ」が選挙のツボ、それを誰よりも知っているのはほかならぬトランプ大統領である。
24年大統領選挙では、トランプ候補は「バイデン・インフレ」と物価高を徹底して攻撃した。「バイデン・インフレを終わらせる」。インフレ収束を公約に掲げて大統領選挙に勝利している。
どの選挙でも票の動向を決めるのは国民の暮らし、生活実感である。GDP成長データよりも卵、アボカド、ホットドッグ、ハンバーガーの値段、そしてガソリン価格などが票の行方を決める。
イランのホルムズ海峡「兵器化」によるインフレ加速は、トランプ大統領には心底から「脅威」でしかない。米国の「壮大な怒り作戦」(核開発阻止という大義・観念)は、イランの「壮大な値上げ(インフレ)作戦」というカードにたじたじだ。
イランはトランプ大統領を脅かす“カードを持っていた”ということになる。このカードにより“詰む”のはどちらか、というゲーム展開に持ち込んでいる。
■“危うい平和”という魑魅魍魎な膠着で時を稼ぐしかない
トランプ大統領としては、遅くてもこの7月〜9月にはインフレ(消費者物価)を2%台程度に抑え込む必要がある。
そのためには「イラン戦争」停戦、できるだけ早期に自分が開始した「イラン戦争」から手を引きたいというのが本音である。「石器時代に戻してやる」「文明を消滅させる」といった常軌を逸した暴言は、停戦を急ぐための焦りを背負ったブラフ(脅し)にほかならない。
戦争を始めるのも身勝手、終わるのも身勝手といった感が拭えない。何とも不思議な停戦交渉だが、どうやら曲折はあっても“危うい平和”が実現されそうな動きとなっている。
短期的には平和は救いである。株式、債券(国債)、通貨にも平穏が戻る。ただし救いが永続するかどうかは誰もわからない。
トランプ大統領は、イランの非対称戦には苛々を募らされている。しかし、その「脅威」、ましてや「敗北」を認めるわけにはいかない。上から目線の暴言は止められない。“危うい平和”といった魑魅魍魎な膠着をもたらすことでいまは時を稼ぐしかない状況となっている。(経済ジャーナリスト)
(小倉正男=「M&A資本主義」「トヨタとイトーヨーカ堂」(東洋経済新報社刊)、「日本の時短革命」「倒れない経営〜クライシスマネジメントとは何か」(PHP研究所刊)など著書多数。東洋経済新報社で企業情報部長、金融証券部長、名古屋支社長などを経て経済ジャーナリスト。2012年から当「経済コラム」を担当)(情報提供:日本インタビュ新聞社・株式投資情報編集部)
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