言うまでもなく、今は、自己責任の時代です。言葉が中心の世界なら、断定さえしなければ、政治家のように、白を黒、黒を白と言い換えたり、都合の悪いことは知らなかったで押し通すこともできるでしょう。しかし、株の売り・買いでは、契約は実行されなくてはいけません。商品ならクリーンオフ期間もあります。株の世界では売り、買いの約束をしたら絶対に守らなくてはいけません。したがって、大切となるのは判断力です。難しいことではありません。株では、「ウリ・カイ・ミオクリ」の3通りしかありません。昔は、証券会社は良き相談相手でした。時には、断定に近い言い方もしてくれたものです。今は証券会社に期待してはいけません。とくに、取引額が1億円以下の投資家は相手にしてくれないと思ったほうがよいでしょう。アナリストがいるではないか、という思いもあるでしょう。しかし、彼らもビジネスです。調査レポートは大口の投資家を優先するはずです。しかも、プロでない小口投資家には証券会社の説明責任が厳しく求められます。
小口投資家は手数料が少ない上に、説明責任だけが強く求められるから、証券会社にはコスト的にも割りに合いません。小口投資家はネット取引でどうぞ、ということです。証券会社にとって、小口投資家は相手にできない存在となっているのです。もっとも、良い点もあります。昔は、個人投資家を巻き込んで、大量推奨販売方式で、高値圏で買わせる動きが目立ちました。このため、大きい相場の後には、損をした個人投資家が取り残されたのです。現在は、この点がなくなったことは大いに評価できます。
繰り返しますが、株はウリ・カイ・ミオクリの3通りです。自分で学び研究して判断する。この判断のプロセスを体得すれば、社会生活のいろいろな判断を求められる場面で役立つと思います。人の意見はヒントとしても、最終判断のところは人に頼ってはいけません。これまで、われわれ日本人は、「寄らば大樹の影」式で、人に頼るクセがありました。株投資は国際社会で生きて行くためのよい訓練の場にもなることと思います。























日本で有数の桐の産地である会津地方では、娘が生まれたら桐を植えるといわれます。木のなかでも桐は10年から15年程度で大きくなり成長が比較的早いため、娘が嫁入りする時に桐で作った箪笥を嫁入り道具に持たせるという親の思いです。桐は材質が均一で変形し難く、精密な作りができるうえ湿気に強いため箪笥には桐がいちばんで今でも高価なものです。株式投資においてもこれくらいのゆったりした気持ちで、子供の将来を思いやることが大切であるというよき時代の教えです。
『役に立たぬダンナは叩き売れ』−−。この反対の格言に、『女房を質に入れても株を買え』、というのがあります。元気のない男性が増えてきたためでしょうか、女性が強くなってきたためでしょうか。
外国には、「見詰めるナベは煮えない」という教えがあるそうです。日本でも「あわてる乞食はもらいが少ない」、「モチは貧乏人に、魚は金持ちに焼かせよ」といった伝えがあります。餅のように焦げやすいものは、せわしくいつもひっくり返して焼かなくてはいけないが、魚はじっくり焼くことが大切ということのようです。もっとも、最近は、餅でもレンジで時間をセットしておけばよいので、ひっくり返すことはありません。格言、教えも時代とともに変わってきています。それでも、外国にも似たような教えがあるということは参考になります。
株式投資だけでなくビジネス、さらに日常生活でも役立つ言葉です。目の前で起きていること、社会で起きていることから「連想」を働かせましょうという教えです。
体力があれば、風邪を引いてもすぐ治ります。深酒をしても次の日まで持ち越すことはありません。しかし、歳をとって体力が衰えてくると、免疫力が低下して、感染症などに罹りやすくなります。生物はつまるところウイルスとの戦いのようなところがあります。赤ちゃんの肌は張りがあって、水滴を弾き返すように少々のウイルスは追い払っているはずです。内臓も皮膚の一種ですから、若いうちは組織に抵抗力があって外敵から細胞を守ってくれます。残念ながら、歳をとると肌に、それもシワの中で水滴は張り付いたままです。
勝負事には「損」はつきものです。もちろん、相場には損得がはっきりしています。人生だって「失敗」や「負け」はつきものです。ほとんどの場合、上手く行くほうが珍しいくらいです。『勝って兜の緒を締めよ』と有頂天にならないよう戒めています。この言葉は、反対に負けた場合の戒めを説いています。

株式投資には、「値上り益狙い」と、「配当狙い」のあることはいうまでもないことですが、どちらにも長所と短所があります。値上り狙いでは、うまく的中すれば配当金をはるかに上回る果実を手にすることができますが、同時に値下り損に見舞われる危険も含んでいます。
今回の下げ相場では、買い方、売り方の大きな戦いが続いています。しかし、NYダウにしても日経平均にしても大きく動いている間は、まだ底値とは言えません。特に、商いを伴って上に下にと動くことは、たとえば関が原のような戦いなら、兵士があちこちで刃を交えている状態です。
高速道路が整備され、車の性能もよく高速ドライブが普通の今日です。取引所のコンピュータも1回の売買を1秒以内で執行する高速取引となっています。個人投資家も1日に何回もの売買を繰り返す超短期売買が活発となっています。世はまさにスピード時代です。
不思議なもので、人生でも相場でも悪い出来事や材料は続くものです。これで終わりかと思えば、まだ尾を引いて出てきます。自分にはツキがなく、悪いことばかりに取りつかれているのではないかと落ち込んでしまうほどです。
一度きりの人生では誰もが、「こうしたいと思い実行する」。もちろん、努力は伴うが。しかし、相場では努力とは関係なく自分でこうしたいと思ってもなかなか思う通りには行かないものである。
少ない数の中から1つ選ぶのに比べ、多くの中から1つを選ぶには、時間と根気と労力が求められます。そんな悠長なことはやっておれないと口実をつけて、人は簡単な道を選ぶものです。即断、即決を善しとする人もおられるでしょう。社会生活の中で、われわれは、常に判断、決断を求められる場面の連続です。2つから1つを選べば、当れば確率5割で効率はよいのですが、その分リスクも同時に高くなります。人の一生、子供たちの一生を決めるような場面では、エイヤーというわけにはいきません。
小幅安ていどの相場なら押し目買いは比較的迷うことなくできるものだが、日経平均が大きく下げるような急落相場では、買いのチャンスと思ってはいても怖くなって手が出せなくなるものだ。人は常識的と思われる水準を破るような厳しい状況となれば理性よりも恐怖心が上回る心理状態となるためだ。
死を恐れない人なら、時間を超越した生き方、考え方もできるでしょう。しかし、われわれ通常の人間、あるいは地球上に生きるすべての動物、植物は与えられた時間の中で生きているのです。それぞれの生き物に与えられた寿命というものがあるはずです。そして、今の1秒ずつを刻んで生きているのです。
似た格言に、『一度に買うは無分別」』があります。相場はなかなか自分の思ったとおりにはいかないものですから、売買は何回かに分けて行ないなさいと戒めています。








